結論を先に書くと、「価格的にも分量的にも分厚いけど、イノベーションとか産業振興とか都市とか人類の未来とかに興味あって、深圳きたことある人は読んだ方がいいよ」という感じです。
結論を先に書くと、「価格的にも分量的にも分厚いけど、イノベーションとか産業振興とか都市とか人類の未来とかに興味あって、深圳きたことある人は読んだ方がいいよ」という感じです。
香港のGNPを超え、中国経済を引っ張る都市となった深圳。ニコ技深圳観察会{.markup–anchor
.markup–p-anchor}で何度か深圳にわたる中、あるとき深圳市の博物館を訪ねた。
そこには巨大な鄧小平の銅像があった。デカイ博物館はわずか30年ばかりの深圳の発展史で埋め尽くされていたが、その7割ぐらいは鄧小平関連だったように思う。
本人が使った車、スコップ、、いかにも全体主義国家っぽい個人崇拝ぶりにビビったのをおぼえている。
一方で、深圳を今のイノベーションの街とした展示はあまりなかった。政府の手助けで一歩一歩市場化をしてきたという展示はいっぱいあった。最初の株式市場や最初の工場。でも、それらは僕の知っているもので、たとえば華強北の都市計画図とか、シャンザイ電話とかは展示してなかった。メイカーズのエコシステム{.markup–anchor .markup–p-anchor}の山形浩生{.markup–anchor .markup–p-anchor}さんの解説では、国境の街にそそり立つシャングリラホテルが政治的な要因でムリヤリ作られたことが予想されている。実際にそのホテルの建設記録が詳細に残されていたり、じゅうぶん興味深かったものの、「まだ勉強する必要があるな」といまいち消化できないまま博物館を後にした。
そのあと、八谷さんのおかげで、山形浩生{.markup–anchor
.markup–p-anchor}さんや江渡さんとメイカーズのエコシステムのイベント{.markup–anchor
.markup–p-anchor}を行い、そこで産業振興政策とイノベーションについての話をしたのも面白かった。
皆なんとなく、「何かしら深圳にはプロデュースがあるのではないか」「ただ、政府がプロデュースしていたら、あんなにうまくいくはずがないし、これまで世界のどこでもお上の産業振興はだいたいコケている」という思いを抱いているようだった。
もう10年も前の話だけど、このチアン=ハリデイ VS フィリップ・ショート:二つの毛沢東伝を比べると。{.markup–anchor .markup–p-anchor}で、山形さんが
毛が桀紂なみの悪逆非道の暴君だったというだけじゃ昔話の域を出ない。かれの思想や遺産は現在にどう受け継がれたか――あるいは中国の場合には、鄧小平がいかにそれを断固として骨抜きにしたか――それこそが、いまの読者にとって重要なことだろう。
と書いてあるのも気になっていて、深圳から帰ってきてから木村公一郎{.markup–anchor .markup–p-anchor}さんに勧められてこの本を読んでみた。

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Amazon.co.jpで詳細を見る 読む前の僕の鄧小平への印象は最悪である。なにしろ天安門事件で戦車で学生をひき殺したときの責任者だ。なんとなく、汚職大国中国の基盤を作った人、みたいなイメージを持っていた。
ところが、本を読むとこれが大間違い。いや、間違いではないのだけど、中国が汚職大国になったのも、背景があった。
彼が権力を握る前の中国はこんな感じ。
・清の末期(1900年頃)、イギリスやフランスやアメリカや日本といった帝国主義全開の大国たちはわかりやすく中国を切り刻んだ。「中国から紅茶を買う見返りに同量のアヘンを渡す」みたいな理解できない条約を結んで中国が怒ったら逆ギレしたイギリス(最終的には香港をぶんどる)を始め、まあ他の国も似たようなものだった
・中国の政治家たちもゴタゴタしていて、1950年頃の毛沢東の台頭までは、まとまって外国を追い出すようなことができなかった。むしろ群雄たちがそれぞれ外国とつるんだりしてた。
・やっと独立した中国が、「外国ふざけんな」「金持ちは敵だ」みたいなイデオロギーになるのは理解できる気がする。実際、それ以前の中国で金持ちと外国は、庶民に対して何もできなかった(会社の社長が社員を富ませる、みたいな構造がなくて、地主が種籾まで持って行く、みたいな感じだった)
・が、毛沢東は戦争がなくなると問題ばかり起こしていたようだ。文化大革命という大きなイベント(インテリや金持ちを国から追い出したり、ムリヤリ農村で働かせたりする)があって、国力ががた落ちした。
・大躍進という経済政策があって、これは農民をムリヤリ集団化して大規模農業をしたり、村単位で製鉄所を作らせて鉄を作ったりしたのだけど、結果として働いても働かなくても給料が変わらないし、計画が失敗すると作物が足りなかったり余ったりする計画経済の悪いところがモロに出て、人類になかったレベルの餓死者が出たらしい。
・経済成長についても、国費の大半が内陸部の山奥(外国に攻められにくいためらしい)に投じられてどぶに捨てられるような状態だった模様
貧乏すぎて人が飢え死にしまくってるような様子だったらしい。実際、イギリスの植民地になっていて義務教育もない香港に、大量の中国人が逃げ出すのが問題になっていた。
ウォーゲルの描く鄧小平で、何度も強調されるのがその率直さだ。少なくとも本の中では、耳あたりの良い報告だけを聞く暗君っぽい様子はほとんど出てこない。
鄧小平はその香港への脱出を、「逃げ出す理由はイデオロギーではなくて貧乏だからで、香港に行ったほうが食べていけるからだ」と看破し、香港の隣だった深圳の改革開放に乗り出す。
別に会社の社長でも投資家でもなかった鄧小平に、しっかりした経済政策があったとは思えない。ヴォーゲルも、鄧小平のアイデアを紹介するのではなく、彼が自由を与えたエピソードをなんども紹介する。
そして、彼がかつて敵としていた資本家含め、いろいろな人から多く学び、やり方を変えてきたことも。
-補助金を出せないなら稼げる権利をくれ(深センを経済特区にするために陳情に来た政治家
-このブタ野郎!貴様はたらふく食べておいて、貧しい農民が食べる工夫をするのを邪魔するのか!(農業の自由化を、人民後者のボスから反対されて)
-農家が飼っていた3羽のアヒルが、4羽になったらブルジョアになるのか?( Hiroo Yamagataさんの解説にもあった、郷鎮企業が大きくなり、「資本家の誕生を防ぐために人を8人以上雇わない」が難しくなったときに擁護した言葉)
-香港のエリートが深圳とやりとりするようになると、中国側のスタッフも国際ルールにあわせるようになった。たとえば「約束を守る」「契約は社内のボスのいうことに優先する」みたいな概念
-試行錯誤しながら自分たちのやり方を変えた。たとえば知財について、「火や活版印刷の発明は中国だが、特許料をもらったことはない」と、海外への特許料支払いに反発していたが、その後守るようになった。逆のケースもある。
-「効率」というものを西側とアクセスする中国人が学び始めたとき、彼らは中国の政府にもそれを要求した。
-橋を建築するときに、将来通行料で回収するための債券を発行し、手持ち資金ナシでも公共事業を行う、信用の創造
-統制経済の撤廃。市場価格を入れると、最初は価格が暴騰するが、人気なものをみんながつくるようになるので、結果的に良いものが安く手に入るようになった。
-軍隊の人数を半数以下に減らし、役人も減らす効率化。鄧小平の時の軍事費はGNPの1.4%、スタート時の三分の一程度(1979年→91年)まで下がった。中国の統計はアテにならないが、アメリカの専門家が推測した数字。
-まったく役に立ってなかった軍需企業などを民営化
-アンコントローラブルな部分まで含めて、市場の力や人々の創意工夫、リスクを冒す姿勢が国を前進させると気づいていた。
-結果として、もともとの権力者や小リーダーからの評判は悪かったが、大衆は鄧小平(改革開放がうまくいってたときは)を支持した。自然発生的に鄧小平に対して歓呼を送るシーンが北京で見られ、改革開放の中心地深圳ではさらに見られた。
-ただ、支持基盤は盤石じゃなくて、しょっちゅう反乱ぽいことにあっている。「何でもできた独裁者」というよりも、不安定な状況の中で頑張って権力を保持していたらしい。
-その権力へのしがみつきは、「自分がやらないと、改革開放が止まる・中国がまた貧乏で人が逃げ出す国になる」という想いから来ていたようだ。
もともとお金がなかった国なので、補助金のたぐいは出していない。毛沢東の時代に大量にできた「資本家を自由にさせない」ための法律を、信頼できる人が担当している地区に限って少しずつ創意工夫を認めてきたようだ。このとき、「補助金を出せないなら稼げる権利をくれ」と言った政治家は習仲勲といって、今の習近平の父である。
ルールがまだ未策定だったため、「何が悪いか」の認識のズレから汚職や役人のミスは起きる。もちろん確信犯的に私腹を肥やす人もいる。そこに対しては、「ドアを開ければハエは入ってくる」の言葉に象徴されるように、ドアをあける方=国民を飢え死にさせない方」を優先し、慌ててドアを閉じるようなことはしなかった。「片手で改革開放をしっかり掴み、もう片手で可能な限り不正を撃滅せよ」とも言っていて、放置していたわけではなさそう。
「政策は一言で言うとこれ」みたいに単純にまとめられる本ではなく、多くの人がたくさんの試行錯誤をしている。ムリヤリ共通項を出すと、
・耳の良い報告は一切聞かなかった。飾り立てて問題を隠すような人は良く更迭された
・問題をちゃんと見ようとした。
・結果をいつも見ていた。重用しているスタッフでも、結果が出ない場合は別のことをやらせたりした
・前例がないことを試すことに対して、実施者を守った
・結果が出るまでは、実験に対して寛容で、実験する権利を守った
・多くの人の生活を変えることに対して躊躇しなかった。中国の歴史上、この時代ほど人々が急速に豊かになったことも、人口が沿岸部に移動したこともない。
みたいなことだとおもう。
もちろん、チベット問題とか、いくつも大失敗もしている。ちょっと前まで列強の植民地だった中国で、国の形をキッチリ保つために必死だった様子は随所に窺え、そういう問題だとテンパる対応もよく見られる。こういうところは僕にはわからない問題なのだろう。
「トライを認める」「大義名分とか他人の目を気にしない」「耳の良い報告を信用しない」どれも、言うのは簡単だけど実際は難しくて、僕のまわりでも悪い状況になると逃げる人はいっぱいいるし、僕も逃げるかもしれない。報告書を書くときに、内容よりも形式を重んじる話や、結果として問題の直視ができなくなることはよく聴く。
そして、僕たちの政府や見聞きする政治家は、間違いを認めることややり方を改めること、率直に話すことに寛容だろうか?
自分に関係の無い大きい話では理想論を言えても、目の前に貧乏人が出てくると何もできないことはよくある。でも、どうするのが一番良いんだろう。あるいは、「やってもしょうがないな、これ」と気づいたことがあったとする。僕らは、そこでためらいなくその仕事を捨てて他のことを始められるだろうか。
自分たちの組織の中で、どのぐらい「ぶっちゃけた話」「実質的な話」ができて、やりかたを変えていったりしていけてるだろうか。
だいたいは、自らプレイヤーになると、プレイしていることそのものが好きになって、視野は狭くなってしまうものだ。むしろそうならない人は情熱が足りない、とも思う。でも、情熱だけでは駄目なこともいっぱいある。
以前、山本一郎氏のブログでオススメされていた

中国グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える (朝日選書) posted with amazlet{.markup–anchor .markup–p-anchor} at 16.09.09
デイビッド・シャンボー
朝日新聞出版 (2015–06–10)
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Amazon.co.jpで詳細を見る も読んで、「国力の割に考え方がみみっちくて身勝手だなあ」と中国に対して思っていたのだけど、少しその根底に通じるものがつながった気がする。意図の読めない行動も、意思決定者が複数人いるなら当たり前の話だ。
この鄧小平本の面白さは、ものすごく多い問題の中で、試行錯誤しながら少しでも良い状態を掴んできたプロセスだと思う。それはそのまま、「ちゃんと計画すればいい」というアンチ・プロトタイピング的な考えへの反証でもある。
分厚いけど、読んでよかった本だと思う。
By TAKASU Masakazu/高須正和{.p-author .h-card} on September 3, 2021.
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